withコロナ時代、企業のサステナビリティ戦略の要諦は、 市場変革を実現する「イノベーションへのチャレンジ」である

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2020年11月18日(水)掲載

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はじめに

本コラムのタイトルをご覧になった方々からは、『現下の緊急事態の最中に、成長戦略などを考える余裕は無い!』と、一蹴されるであろうと筆者は推測している。それを覚悟の上で、先ずは、筆者の考えの背景を理解していただくために、近年の出来事を振り返ってみることから始めたい。

近年の例では、2008年、米国発のリーマン・ショックによる経済危機が、日米のみならず、世界市場を襲ったことは記憶に新しい。その時、日本の総理大臣は、『大変なことが起こった。これは100年に1度の経済危機である』と述べた。しかし、株価の推移で判断する限り、わずか数年後に、世界経済の落ち込みは一過性で過ぎ去ったのである。例えば、米国のダウ平均は僅か2年後に、さらに日経平均も東日本大震災の影響にも拘らず、5年後には回復した。そして、100年を待つことなく、現在は日米の株式市場は歴史的株高を謳歌しているのである。

このような世界規模の異常事態が生じた際、冷静かつ客観的に考察すべきことは、近未未来についての認識の不確かさが故に、つい悲観的な思い込みが世論の流れとなる現象である。古くからある格言にも、『人の噂は七十五日』とあるように、日本人の多くは、目の前で起こった事柄には、つい一喜一憂し、一旦は悲観する傾向がみられる。

筆者の個人的見解ではあるが、日本人は、ある一定の状況に遭遇した場合、周囲と異なる意見を主張すると、『場の空気を読めない人』と言うレッテルを張られることを懸念するあまり、多くの人は同調圧力を受け入れ、自分の意見を述べることに躊躇する傾向が強いのである。その結果、物事の因果関係を明らかにする努力をせず、周囲の流れに同調することで他の多数と同じであることで、自らの安心感を得るという行動パターンが定着しているように筆者には見えるのである。

ここで視点を変え、改めて人類の歴史を客観的に俯瞰してみることにする。過去には戦争や災害、それに伝染病など、人類は大きな試練に遭遇しながらも、知恵と努力で必ずそれらを乗り越え、持続的成長を実現し、今日に至っている。とはいえ、もちろん筆者も、適切な治療薬もワクチンも無い中での新型コロナウイルスの影響は極めて重大であることは十分認識している。その上で筆者がお伝えしたいことは、今や70憶を超える人間が住む地球上の環境は、常に変化することは認識せざるを得ない。したがって、起きた事柄に一喜一憂すること無く、過去の歴史や事例から学び、冷静に対応すべきであると筆者は考えている。そうした考え方に立てば、現在のコロナ禍に一喜一憂せず、その後のニューノーマル時代に備え、変化を先取りする姿勢に基づいた活動が現状からの脱却を可能とする有力な手段であると筆者は確信している。

したがって、日本企業が今やるべきことは、ニューノーマル社会における自社のあるべき姿を明確に描き、具体的施策に取り組むことである。さらに前向きに考えれば、未来にチャレンジする意欲を持つ企業は、『サステナビリティ戦略』を構築する絶好の好機であると捉えるべきである。なぜなら、志ある企業は、現下の状況を「変革の時期の到来」と捉え、懸案であったにも拘らず、具体的手段の欠如の故に先延ばししてきた感が否めない、『サステナビリティ経営』の推進に粛々と準備を進め、本気で取り組みを開始する絶好の機会であると認識すべきであるからである。まさに、『ピンチはチャンス』であり、勇気を持って変革にチャレンジした企業が、新しい時代の生き抜き『サステナビリティ経営』の成果を享受するに違いないと筆者は考えている。本コラムでは、視座を高め、上述の内容を改めて俯瞰しつつ、筆者の考えをお伝えすることとする。

成長の限界を懸念し、サステナビリティの概念が生まれた

ビジネスの社会に限らず、日常的に登場するコトバである『サステナビリティ』は、真面目にその意味をについて問われると、明確な答えに窮するビジネスマンも少なくないと推察される。そこで、その語源から解き明かしていくことにする。

ご存じのように、Sustainabilityという英語は、二つのコトバを組み合わせて出来た造語である。先ず、『Sustain』の語源はラテン語で、『下から支え長持ちする』と言う意味を持つ言葉である。それに続く『ability』は、『可能であること』を意味する名詞であることから、『末永く支えることが可能』、すなわち。『持続可能性』ということを表している。

サステナビリティと言う概念は、1972年、ローマクラブ(スイスが本部の民間シンクタンク)が米国のMITに委託した研究の成果を、『成長の限界』という報告書の中で初めて使われた。それまで人々が疑いを持たなかった地球規模の持続可能性に初めて警鐘を鳴らしたことで、世界的に注目された報告書である。同報告書では地球は限られた環境容量があり、人類社会の成長は何れ限界を迎えることになると警告した。その結果、以後、政府はもとより、企業経営者にとっても避けて通れない課題として認識されたのである。

その後、1987年には、日本の提案によって設けられた国連の『環境と開発に関する世界委員会』、通称『ブルントラント委員会』が、最終報告書として、『地球の未来を守るために』の理念が、広く認知されるようになった。 同報告書では、『Sustainable Development (持続可能な発展)』の定義として、『将来の世代が自らのニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすような発展(開発)』と定めたのである。

サステナビリティが内包する矛盾とは?

この章では、国連を中心としたその後の経緯をお伝えしておきたい。ローマクラブの報告書、『成長の限界』による人類への警告から20年後の1992年6月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された『地球サミット』で、来るべき21世紀に向けた地球規模の指針として、『Sustainable Development』、すなわち、『持続可能な発展』が正式に採択された。

しかしながら、リオ宣言の理念は理解されたもの、ローマクラブの警告通り、現実には地球上の人口は増加し続け、同時に増え続ける人々の間では、より豊かな生活を求める願望が無くなることはなく、大量消費社会が継続し現在に至っている。つまり、我々は、『成長の限界』を認識しつつも、何の対策も講じないまま、『サステナビリティ』を求めるという、非常に矛盾した状況下に置かれているのである。

さて、ここで少し目を転じ、自然界に生きる動物たちの例を挙げて、簡単な『持続可能性』について考えてみたい。自然界のルールは厳しい。動物たちはそのルールに従って生きてきた。例えば、動物の世界では限られた森や草原の中で食糧を得ている。食糧が欠乏すれば強いものが生き残る弱肉強食の掟が待っている。こういう事態に直面すると、弱者にとっては『持続可能性』の危機が顕在化する。全ての動物たちの生命を維持する食糧需要と自然界からの供給量のバランスが崩れ、全ての動物たちの胃袋を満たすだけの食糧がなくなると、動物たちは自然淘汰という最終段階を迎えることになる。すなわち、ここで言う淘汰とは需要が供給の限界を越えた段階で始まり、それがバランスを取り戻すまで続くのである。動物たちは、それを受け入れざるを得ないのが自然界の掟なのである。

一方、人類はどうか。
人間は自然淘汰を選択肢として受け入れることをせず、道具を作り農耕を始めるなど、様々な創意工夫を重ね、今日まで生き延びてきた。そして、将来もそうありたいと願っている。

そして今や、『サステナビリティ』という片仮名コトバは、よく耳にするが、あたかも有難い念仏を唱えるかの如く、言わば非日常的な高邁な理念のように考えられていることが少なくない。その理由は何故か?と考えると、答えは簡単である。我々は、『サステナビリティ』に取り組む合理的で具体的な方法を知らないからである。もしくは、その知識は十分あったとしても、強者である自分には関係がないとの傲慢さ故の思い込みからか、真面目に対応を考え、決して実践しようとはしないからである。

問われる国連のリーダーシップ

そうした状況を懸念した国連は、2002年には南アフリカのヨハネスブルグで、2012年6月には再び、ブラジルのリオデジャネイロで開催され、国連の招集を受けた世界各国の首脳をはじめ、産業界やNGOの代表者が集結した。特に、世界172の首脳が参加したこの会議では、地球の自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が議論された。

国家を代表する首脳たちが演説する中で、ひときわ注目を浴びた演説をした人物がいた。世界一貧しい大統領として知られる、南米ウルグアイの第40代大統領・ホセ・ムカヒ氏である。彼は8分間のスピーチを通し、彼の頭の中にある率直な疑問を、先進国の首脳たちを前にして、こう語り掛けたのである。

『今日の会議での皆さんの議論は、持続可能な発展と世界の貧困を無くすことでした。しかし、皆さんの本音は何なのでしょうか? 皆さんは、現在の自国の裕福な発展と消費社会を続けるために、国境を越えたグローバリゼーションを推進し、世界の隅々まで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか? このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会を作り上げながら、『さあ、みんなで、この世界を良くして行こう!』というような共存共栄を実現する議論は、本当に出来るのでしょうか? 何処までが仲間で、どこからがライバルなのでしょうか? こうした社会を作り上げたのは我々なのです。我々の前にそそり立つ巨大な危機問題は、環境問題ではなく、裕福な先進国の傲慢さの帰結としての政治的な危機問題なのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなければなりません。世界中の国々は、それを平等に享受できているでしょうか?』

このスピーチで、会場の参加者に大きな影響を与えたホセ・ムヒカ氏(当時77歳)は、大統領としての給料の9割を、母国の貧しい人々に分け与えたことはよく知られていたことから、彼のスピーチは聴衆に大きなインパクトを与えたのである。大統領を退任した現在も、言行一致の生活を続け、自らは清貧な生活を貫いている。

SDGsの登場で世界は変わるか?

ホセ・ムカヒ氏の指摘にあるように、『サステナビリティ』のような地球規模の目標の実現は、世界の全ての国々が取り組んでこそ可能である壮大なプロジェクトである。一つの国が取り組んだだけでは目標達成は不可能であるし、企業が単独で取り組むには、余りにも課題が大き過ぎる。そうした状況に応えるかのように、2015年9月、国連は世界に向けて新たな提案を行った。それが、『Sustainable Development Goals』、略称SDGsである。具体的には、2030年までの達成目標であり、持続可能な世界を実現するための17のゴールが定められている。ゴールの例としては、気候変動、貧困、飢餓、教育、平等、エネルギー等について、解決すべき課題が挙げられている。

では何故、一般企業が、SDGsに掲げられる多くの社会問題にまで取り組む必要があるのだろうか。何故かと考えると、一旦、地球規模で危機的な状況が起こり、社会全体が不安定な状況に陥った場合、国境を越えグローバルにビジネスを展開している企業は、大きな影響受けることは避けられないからであるといえるだろう。

SDGsが登場して以来、多くの日本企業は、『SDGs』への取り組みに焦点を当てた活動を開始している。しかし、今年に入り、年初からの新型コロナウイルスへの対応が緊急課題となって来たため、サステナビリティに関連する企業活動は一挙に停滞している。しかし、社会の公器と自負する日本企業は、』サステナビリティ』と言う究極の命題への自主的な対応の継続を忘れてはならないと筆者考えている。何故なら、我々日本人は、戦略(目的)と戦術(手段)を明確に位置づけないまま、ひとたび何か事が起こると、何故それを行うかと言った本来の目的は一旦棚上げし、つい、手っ取り早い解決を望み、目の前の問題の解決手段に注力しがちになる。しかし、問題の根底にある事柄の解決をないがしろにした手段への注力は、単なる対処療法に過ぎない場合が少なくないため、努力が『モグラ叩き』に終わり、結局、真の目的達成には至らないケースが少なくない。このことを知っておくことは重要であるからである。

サステナビリティには終着駅は無い

言うまでもなく、『サステナビリティ』という概念は、将来にわたり人類が淘汰を乗り越えるために創造した人間の知恵なのであり、そのゴールへの道のりに終わりはないのである。人間は自然界のルールを受け入れず、自らサステナビリティを究極の目標として位置づけ、その実現を目指し新たなルールを創り上げようとしている。しかし、究極の目標であるからこそ、そのゴールへの道のりは遠く、かつ厳しいのである。何故かと言えば、改めて世界の現実を直視すると理解できる。

良く知られていることではあるが、世界では富の偏在の結果、富裕な者と貧困者の格差が年々拡大しつつある。信頼できる調査機関の報告によると、2017年、世界で1年間に生み出された富の増加分のうち約8割は上位1%の人々が独占した。一方、経済的弱者である世界人口の半分を占める37億人の人々が得た富の割合は、僅か1%に過ぎなかったのである。この傾向は毎年顕著になりつつあり、人々の格差は確実に拡大しているのである。その背景の一つには、富裕層はタックスヘイブン(租税回避地)を利用するなどして、相変わらず傲慢な利益追求の姿勢を止めないからである。こうした現実は、2012年、世界一貧しい大統領として知られたホセ・ムカヒ氏が、国連での演説で指摘したように、根本的には政治問題であり、具体的な対策を実施しない先進国の指導者たちの政策に起因すると言えよう。

このような状況において、企業の『サステナビリティ』への対応は、如何に進めるべきであろうか。筆者が思うに、日本企業は、単に左右を見て他者に追従するのではなく、深く自問自答すべき時が来たことを自覚しなければならない。その自覚の上に立った時、実は忘れてはならない、是非、知っておいて戴きたい事実がある。明治以来、先進国から上手に学び発展してきた日本ではあるが、実は、日本が誇りべきことがあるのを多くの日本人はご存じないのである。

今回のコラムのキーワードは、『サステナビリティ』である。日本企業は、この海外で生まれた新たな概念を素直に受け入れ、何とか形だけは整えようと苦労しているのが現実である。こうした現象は、バブル崩壊後の、所謂、失われた平成の30年間、日本企業の多くが自信を失った結果、事の本質を深く学び理解しないまま、世界の先進国に準じることを優先するという主体性の無さを表していると筆者は考えている。

そうした、やや悲観的で後ろ向きな現状を変えるために、是非、想い出して戴きたいことがある。実は、日本は、世界に誇る『サステナビリティ先進国』なのである。古くは江戸時代から、日本の商人達(企業)は、商売(事業)の持続性を希求していたのである。当時、商売の基本は何かと言えば、その例は、『三方良し』の考えにみられる。 『三方良し』の意味するとことは、すなわち、『買い手(顧客)良し』、『売り手(企業)良し』、、『世間(社会)良し』を意味している。言い換えれば、当時既に、現代の企業が良く使う、『Win-Win』の発想や、売り手(企業)の利益追求姿勢を戒め、他の人々の幸せと同時に、世間(社会)への貢献を意図し、言わば現代の、『CSR(企業の社会的責任)』を先取りしたかのような考え方が、商売の基本として存在していたのである。それが代々、商家の家訓として愚直に引き継がれ実践されていたという事実は、日本人の誇るべきことなのである。その結果、例えば、創業以来200年を超える企業数の世界ランキングを見ると、日本は他の国を引き離し、断然トップなのである。筆者は、こうした事実から、日本企業が忘れかけていた先人達の継続的な努力を改めて実感している。グローバル市場における『サステナビリティ戦略』に苦慮する日本企業の皆さんも、ここでご紹介した事実を誇りとし共有し、自信を持つべきであると筆者は考えている。

さて、筆者は、長年にわたり、企業における『サステナビリティ経営』と、企業成長の原動力である『イノベーション・マネジメント』について研究し実践してきた。その経験を糧に、企業における『サステナビリティ戦略』における最も有効な手段は、『イノベーションへのチャレンジ』であるとの結論を得た。その理由は、イノベーションのチャレンジに失敗は無いからである。市場と市民社会に変革をもたらす『イノベーション』こそが、『サステナビリティ戦略の要諦』なのである。

『サステナビリティの要諦』が、『持続的イノベーション』であることについては、紙面の都合上、次の機会に、詳しくお伝えすることとする。

執筆者N.Y氏

イノベーション経営アドバイザー。工学博士。米国系企業に34年間勤務。日米両国において、研究開発部門、ビジネス部門、全社戦略部門での実務経験を通し、企業における『サステナビリティ経営』の神髄を体得。その後、欧州系企業での経営コンサルタントを経て、現在は日本企業の支援に携わっている。

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