新型コロナウイルス感染症の影響により変わる世界で、私たちはどのように生きるか?

2020年05月20日(水)掲載

長年、私は、テレビ業界の某大手テレビ局で様々なバラエティ番組を作ってきました。私が現在名乗っている肩書きである“バラエティプロデューサー”のバラエティとは、バラエティ番組のプロデューサーという意味ではなく、テレビ、ラジオ、インターネット、イベント、映画、演劇、書籍、広告、ビジネス、学問、まさにあらゆることをプロデュースする、本来の意味でバラエティ=様々なことを行う、という意味で名乗っているプロデューサーの肩書きです。

元々のテレビ制作だけではなく、まさにバラエティに行うために、私は2016年末に22年9ヶ月在籍した愛すべき某大手テレビ局を退職し、現在フリーランス4年目です。そんな折に、まさにこの新型コロナウイルスの影響を受けました。まさにこの世界的危機はあらゆる人のライフスタイルとビジネススタイルを激変させていくことでしょう。

私も含めて、今多くの人がこの新型コロナウイルスの禍で在宅勤務や自宅待機が強いられています。それはやがて段階的に解除されるかもしれませんが、私たちの生活や働き方が果たしてコロナ以前のように戻るのかどうかは甚だ不透明です。しかし、その変化は確実にポストコロナ時代が要求していることですから、私たちはその変化に抗うのでは無く、どうすればその変化に対応できるのかを考える必要があると思います。

今回は、メディアにおいてポストコロナの時代にどのような変化が我々に求められているのかという点を、バラエティプロデューサーの視点から紐解いてみたいと思います。

リモートで変わる世界

今新型コロナウイルスの禍で状況が変化すると述べましたが、この言い方は正確ではありません。正確にいえば、21世紀に入って20年がたち、時代も平成から令和にかわり、変化はすでに大分前から起こっているのです。その変化がこの新型コロナウイルスの禍で顕在化した、要求化された、加速したということなのだと思います。

例えば、在宅勤務中に行う会議は、リモート会議になりました。飲み会ですらリモートでの飲み会になりました。それは、つまり人との集まりは、物理的に一緒にならなくてもよくなったことを意味します。でも、このリモート会議もオンラインイベントも、もうだいぶ前から存在していました。それでも、「やはり会議は対面で直接会って顔を付き合わせないとダメなんだ!」 という固定観念が、リモート会議を(遠隔地や海外との交渉等の)一定以上の利用に限定させていたのでしょう。つまり技術や仕組みは既に存在していたのに、それを阻んでいたのは、実は私たちの感情・ノスタルジア・固定観念であったと考えられます。

しかし、その固定観念が覆るきっかけがこの新型コロナウイルスの禍です。そして今、私たちがリモートで会議を行ってみて感じた率直な感情は、「リモートでも会議はできる」という発見の感情です。そして更に言えば、「それでもこの会議は直接会ってやらなければ駄目だ」「この人とは直接会って話したい」ということが明確化された感情なのです。つまり、コロナ禍でクリアになったことは、「リモートでできる会議」と「直接会う会議」の違いです。ですから、ポストコロナの時代は、会議が明確にこの2つを別けて行われるようになるでしょう。それは良い悪いに関わらず、人間がその感情を持ってしまったからには、もう元にはもどれない現象なのだと思います。

はっきりとしたリアクションが必須になる

リモート会議の話をさらに進めると、リモート会議では発言者が何かを発言したら、それ以外の聞き手は、それに対するリアクションを、うなずくなり、否定するなり、笑うなり、少なくともビジュアルで明確に反応する必要があります。今までの対面式の会議であれば、むしろ静かに聞いていることの方が美徳とされる雰囲気がありました。いわゆる欧米と違って、日本人はリアクションの表現が本来過剰ではありません。その奥ゆかしさが対面の会議ではむしろ好ましいと思われていました。しかし、その奥ゆかしさは、視覚メインのリモート会議では、何も伝えていないことと同義です。つまり、私たちは、リモート会議では、対面会議よりも過剰なリアクションが求められるのです。人はそのような慣習の変化に最初は戸惑いを覚えますが、数回繰り返せばむしろ慣れるでしょう。つまり、これからのポストコロナでは、そのような個人の感情の視覚化がよりすすむことを意味するのです。

そしてリモート会議では、皆が一度にマイクオンをすると、ノイズが多くなり、聞き取り辛いです。ですから、話者だけがマイクオンにして、他の人は感想やリアクションのときだけマイクオンにして話し始めるようになります。つまり、対面会議とは違う、リモート会議には独自の会議進行ルールが必要になるのです。そしてそれは、今までの対面会議であれば、漠然としたテーマで議事を進行しても、例えば発言者の順番等をあまり厳格化して決めなくても、その場の雰囲気で進んでいたこともあったのではないでしょうか。しかし、このリモート会議では、より明確なテーマ設定、話者と聞き手の明確化、話者の順番、リアクションの顕在化、皆の会議参加のための旗振り役=MCの役割等が、より必要になってくるのです。

テレビ化する世界、タレント化する私たち

今、リモート会議における「リアクションの過剰化」と「MCの役割の重要性」の話をしました。皆さまはこの二つが機能している別の物を思い出しませんか。それは、テレビのバラエティ番組です。

バラエティ番組には、何人かの出演者がいて、ひな壇に並んで座り、毎回あるテーマに沿った話題について、司会者の旗振りに応じて適宜発言をし、その発言を聞いた他の参加者はある種過剰にリアクションをして進められます。そのテレビのバラエティ番組とリモート会議は、話している内容の硬軟に違いはあるにせよ、極めて構造が似ている映像演出表現なのです。

リモート会議とは、それはつまりテレワークのために必須な新しい形です。テレ=teleとは「離れる、遠隔」という意味です。離れた音であるからテレフォン、離れた映像であるからテレビジョンだったのです。つまり、私が長年仕事にしてきたテレビ番組の制作は、そもそも離れたお茶の間に、いかに番組内容を伝えるかという技術に特化した制作過程・演出行程でした。つまり、私は、このテレワークになるはるか昔からテレで内容を視覚的に伝達することを行ってきていたのだと気付かされます。すると、今実際私がリモート会議を行ってみると、私がテレビ制作で培ったノウハウが求められているのだと改めて実感もするのです。

つまり、これからのポストコロナの中で、我々一人ひとりが求められるスキルの一つは、それはテレビのバラエティ番組のタレントが求められるスキルと同様なものなのです。つまり、ワークがテレワーク化することにより、私たちのワーキングスタイルもテレビジョン化する、私たちのライフスタイルもタレント化することを(否が応にも)求められているのだと思います。

今、あくまで一例として「会議」について述べました。しかし、これは会議に限ったことではありません。インターネット、肩書き、組織、サービス、広告、お金など、このように様々な仕事の場面で、様々な生き方の局面で、今まで必要だと思われてきた既存のシステムや慣習が、ポストコロナで変更していくということを意味するのです。
とすると、私たちが今必要なことは、一人ひとりが自分の生活や仕事で、
「何が変わるか?」
「何を変えなければならないのか?」
「何を変えてはいけないのか?」
ということの視点の変化を、それぞれが自分自身の中で捉え直すことなのだと、私は思うのです。

執筆者Y.K氏

バラエティプロデューサー
東京大学卒業後、1994年にテレビ業界の某大手テレビ局に入社。主にバラエティ番組の企画制作他、映画監督、音楽フェス、アプリ制作、舞台演出、等多種多様なメディアビジネスをプロデュース。2017年よりフリーへ転身。

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